midnight blue

映画と恋と

ちはやふる 結び/恋する凡人

末次由紀の大ヒットコミックを広瀬すず主演で実写映画化した「ちはやふる 上の句」「ちはやふる 下の句」の続編。瑞沢高校競技かるた部の1年生・綾瀬千早がクイーン・若宮詩暢と壮絶な戦いを繰り広げた全国大会から2年が経った。3年生になった千早たちは個性派揃いの新入生たちに振り回されながらも、高校生活最後の全国大会に向けて動き出す。一方、藤岡東高校に通う新は全国大会で千早たちと戦うため、かるた部創設に奔走していた。そんな中、瑞沢かるた部で思いがけないトラブルが起こる。(映画.comより)

 

素晴らしい完結編だった。『上/下の句』と三本まとめて脚本を書いたとしか思えないほど、三部作として完璧である。いろいろな観点から語ることができる映画だと思うけれど、わたしが最も印象に残ったのは、やっぱり太一の恋路だった。

結びの主役は、どう観ても太一だ。太一にとってかるたと向き合うことは、千早と向き合うことである。太一を中心に据えると、自ずと恋愛が物語のテーマになっていく(もちろん、それだけではないところがちはやふるの魅力だけれど)。三部作を並べて『下の句』だけがなんだか浮いた気がするのは、おそらく太一が中心ではないからなのだろう。

太一が恋煩いで成績を落とす、という描写がなんだか新鮮で良かった。東大の医学部なんて、あまりに極端すぎやしないかと思ったけれど、もしかしたら千早への恋心から遠ざかるために、あえて高いところを狙っていたのかな(両親の希望という台詞があったかも)。悩みながらも受験勉強と両立してきたかるた部を、”新が千早に告白した/千早も満更でもない”という話を聞いて辞めてしまうのもわかる気がした。届かないものに焦がれ続けるのはつらいことで、もちろん楽しいことだってたくさんあっただろうけれど、どこか諦める理由を探しながら千早と過ごしてきたとしたら、その選択を咎めることは誰にもできないだろう。追いかけなければ届くことはないけれど、傷つくことだってないのだから。しかし『結び』が感動的なのは、太一が再び立ち上がるからなのである。叶わなくても、届かなくても、それでも青春全部懸けてもいいくらいのものを見つけたから。

終盤、試合が終わったあと、千早の腕を引き会場から出る太一に、告白するの??!!と思うも、なんと太一は千早を新のところへ連れていく。太一は千早が新の告白を受け入れるのだと思っていて、だから目を伏せている。恋敵に勝ったからといって、千早が太一のものになるわけでは当然なくて、千早の想いが最も大切であることを太一はよくわかっているのだ。なんて真っ当なんだろう。最初からこうするつもりで、太一は戻ってきたんだろうなと思うと泣きたくなる。太一が本当に決着をつけたかったのは、新ではなく、千早への恋心だったのではないか。そして太一のあの涙を見るに、たとえ叶わない恋だったとしても青春を懸けた価値はあったはずで、それは千早や新といった巨大な才能に囲まれ、自問自答しながらもがき続けた太一のかるた人生が報われた瞬間でもあったのだと思う。

さて、千早が新の告白への返事として、一見とんちんかんな、でも彼女にとって、そして彼女を知る者にとって筋の通った答えを返したときの太一の気持ちはどのようなものだっただろうか。千早らしい、と思ったか。まだチャンスがある、と思ったか。はたまた、まだ千早に振り回されるのか、と思ったか。
この三角関係は、友情と恋愛の間を行き来しながら、緩やかに続いていくのだろう。そのうちに、三人がそれぞれに別の誰かと恋に落ちることだってあるかもしれない。それでも三人の繋がりは続いていくはずで、彼らのあまりに邪気のないやりとりに、成就しなくても幸福な恋の形というものを見たように思ったのだ。