midnight blue

映画と恋と

花束みたいな恋をした/恋はいつか生活に負ける

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東京・京王線明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った 山音麦 (菅田将暉)と 八谷絹 (有村架純)。好きな音楽や映画が嘘みたいに一緒で、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。近所にお気に入りのパン屋を見つけて、拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店しても、スマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが…。まばゆいほどの煌めきと、胸を締め付ける切なさに包まれた〈恋する月日のすべて〉を、唯一無二の言葉で紡ぐ忘れられない5年間。最高峰のスタッフとキャストが贈る、不滅のラブストーリー誕生!
──これはきっと、私たちの物語。

!映画の展開に触れています!

『花束みたいな恋をした』を観た。身に覚えしかない選民意識に穴があったら入りたいと思う前半と、言ったことがある台詞と言われたことがある台詞が繰り出される後半に胃が痛くなった。

出会った頃や同棲初期の麦と絹の無敵っぷりは眩しい。駅徒歩30分の苦行を、拓けた眺めと広いベランダでペイできてしまうくらい。帰り道の30分を毎日おしゃべりして楽しめるくらい(働き始めてからの麦は過去の自分を恨んだと思う)。価値観が似ている二人だから、家具集めも近場のお店探しも、あんまり描写はなかったけれど掃除や料理だって楽しかっただろう。だからこそ、就職を境に不穏さが漂い始めるのは切なかった。恋はいつか生活に負けてしまうのだ。

働き始めた麦はどんどん変わっていく。同期が結婚する、という下りから感じたのは、麦が社会一般的な"男"になりたかったのだろうということだ。男は家庭を持ってこそ一人前、みたいな。妻のリクエストで映画に付き合って(『希望のかなた』を観た感想が「面白かったね」で済むわけない、興味を持てなかったんだろうね)、小説よりも自己啓発本を手に取る(あのときの絹の顔!!!)ような男に。絹が事務の仕事を辞めてイベント会社に転職する、という話をしたときに麦が怒るのは、自分が目指している一般的な家庭像が崩れると思ったからだろう。家計を考えれば絹が派遣でも働いていたほうが助かるはずだけれど、夜分に家を開けるような働き方をされるくらいなら専業主婦として家にいてほしいのだ。明示はされていないから、そこまで考えるのは意地悪かもしれないけれど。
映画を振り返ってみると、どうも麦の先輩のDVが浮いているように思えるのだけれど、あれもtoxic masculinityを描きたかったのだろうか。殴らないだけ麦はマシ、なんてひどい話だと思うけれど。麦は絹の話を聞いていたらどう思っただろうか。

ここからは映画と関係ない話。わたし(28歳、会社員)と連れ合い(30歳、会社員)は大学で知り合って、8年付き合ってから結婚した。今年で付き合い始めてから10年目になる。すきなバンドが同じで、ご飯を食べに行くとだいたい同じ料理を選んだ。簡単にいえば価値観が似ていた。だからなのか喧嘩もそんなにしなかったけれど、わたしが大学卒業後にフリーターとして過ごしていた時期には、前述の麦と絹よろしく言い争ったこともあった(だから胃が痛かった)。紆余曲折を経ていま一緒に暮らしていて思うのは、わたしたちは思ったほど似てないな、ということだ。お互いに変わってきたのだと思う。

趣味が合う、価値観が合うというのは甘美だ。わたしたちはその他多数の人たちとは違う、という陶酔。その関係が長く続くと、一方が変わっていくことを許しがたく感じてしまうのかもしれない。しかしいくらともに過ごしていようと、価値観が合おうと、わたしたちは別々の人間なのである。絹は変わっていく麦に戸惑ったし、麦は変わらない絹がもどかしかっただろう。二人の関係はもはや修復できないと悟ってしまうファミレスのシーンは、人が出会い恋に落ちて別れるまで、その過程をすべて内包していて悲しくも美しかった。もっと話し合ってみれば、状況が変わる可能性だってあったと思うけれど(別れてからの宙ぶらりんな三ヶ月の気楽さを見るに、きっと)、一方でさらにお互いをズタズタに傷つける恐れもあったわけで、花束を枯らすよりはドライフラワーのように思い出を愛でようと意見が一致したのだろう。2020年の二人が思いの外さっぱりと再会していたのも、別れ方が良かったからなのかもしれない。麦の語る結婚は空虚だったけれど、わたし自身の実感として感じるのは「ずっと同じようにすきではいられない」というのは正しい。でもそれは悪いことではなくて、一人の人間への気持ちをすきという一言で表せるわけもないというか。恋が生活に負けるって、必ずしも不幸ではないのかもしれないね。恋は生活に負けて、それでも残る情を愛と呼ぶのかもしれない。なんて。